思い返すにひゅ~ちゃんは、社会人になってからも結構長い間、「うまくできるか、できないか」みたいなことに囚われていた気がします。
言い換えれば、「失敗したくない」とか、「能力がある人/できる人に見られたい」とか思っていた気がします。
そう思っているとどんなことが起きるかというと、まず、自由さが奪われます。
「これでいいのか」とか、「これは間違ってないか」とか、「もっとよい策があるんじゃないか」とか、「こんな浅はかなこと言ったら、笑われるんじゃないか」とか、自分に対する疑いやいろいろな邪念が生まれると、自由な発想や発言ができなくなってしまいます。
私の場合、仕事の場でそういうことが多く発生していた気がします。
特に、会社の一員として働いていた時、顕著だったなあ…。
人の目を気にしたり、自分に自信がなかったり(=自分を疑っていたり)、したなあ。
けっこう、大変なんですよね、こういうこと抱えながら生きていくのって。
考えるべきこと以外に余計なことを考えるので、その分ほんとに考えるべきことに意識がいかなかったりもするから、仕事にも時間やパワーがめっちゃかかっちゃったりしますしね。
それって考えてみるに、「物事には正解がある」ということ前提にしてるからなんですよねえ。
ほんと、「正解」って、何なんでしょうかねえ。
みんな、知らず知らず追い求めてますけれどもね。得体の知れないものですねえ。
そんなひゅ~ちゃんでしたが、だんだんとですね、「うまくできるか」とか、「正解を見つけなきゃ」とか、「笑われないように有能でいなきゃ」みたいな、変な囚われから解放されてきたんですね。
そのきっかけが、ワークショップ(特に、身体性の高いワークショップ)とお芝居(演じること)、そして音楽(歌うこと)だった気がするんですよ、今思えばね~。
言ってみれば、自己表現の機会を持ったってことかな。
子どものころや若いころには持っていたのにオトナになって封印してしまっていた自己表現の機会を、改めて作ってみたってことかな。
やってみますとね、体を動かすことや演じることや歌うことには、「こうすれば絶対!」とか、「これが絶対の正解!」ってものは、ないんですよね。
誰もが、如何ようにも考えていいし、表現していい。
っていうか、その人が思ったようにやってみてナンボ(やってみなきゃ始まらない)、みたいなところがあります。
それを他者に容認してもらって、意見なんかももらいながら、またやってみることを繰り返すうちに、「まだまだ発展途上だとは思うけど、現状なりには、まんざらでもないことやれてるかも~」とか、「こうやってみたらもっと自分として納得のいくことができるかも~」とか、思えるようになってきたんですよねえ。
よく、「ありのままを受け入れる」とか言うけれども(表現が陳腐だけども)、まさにそんな感じがします。
これを、日常生活や仕事のシーンに拡張していくと、心が自由になって、生産性も上がっていくし、生きるのも楽しくなってくる。
そう考えるにつけ、ワークショップとか芸術って、苦しんでる人、自由を失って生きづらくなってしまった人を救うんじゃないかなあって思います。
何が言いたいかっていうと、「正解」探しなんかやめちゃって、自由になろうよ、ってことですわ。
人から与えられる正解なんてないよ。
仮に正解ってものがあるとしたら、それは自分の中から生まれてくるものなんだと思うよ(*^^*)。
(ひゅ~ちゃん)
PS
1月26日の午後に、西早稲田のカフェ「aunt」で、ダブリンワークショップを開きま~す。詳細はまた追ってお知らせします(*^^*)。